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幸福という幻想を追い求めるのは人間が人間である所以なのかもしれなんだが。。。

  • 執筆者の写真: Admin
    Admin
  • 2017年11月3日
  • 読了時間: 4分

はぁ、幸せになりたいです、、、

 私達の何気ない日常にも実は影が潜み忍び寄っている。今はその陰影が薄くなり、人々は温かい日常を当たり前のように感じ手に入れ、平和の上にあぐらをかいている。私達が住む日本は幸福度が低い。世界的に見れば恵まれ裕福な国であり安全と平和が担保されている。戦争や紛争が起きる心配や危機感もない。しかし、幸福度は必ずしも安全や実用性や金銭的な多寡とは相関性が少ないのだろう。日本人はどこか不幸だ。他人との比較の中でしかアイデンティティーを保つことができない。いや、許されないのだろう。江戸時代の名残から閉鎖的な社会であり思想や多様性、個性を監視、抑制され人間関係が非常に稀薄である。また、官僚をはじめとするエリート至上主義であり社会のレールから外れれば人格が否定される。郷に入れば、郷に従え。没個性であることが日本では美徳とされ生きづらさを感じる。自由や個性、実利よりも形式や協調性、人間関係が重要である。そのため、日本で自由な発想は危険分子であり排他される。飛び抜けた才能は周りが妬み、足を引っ張る。事を運ぶには根回しが重要であり、内容が必ずしも伴わず誰かの利権が蔓延っている。すべての原因は事なかれ主義で責任転嫁する民族性にあるのかもしれない。その背景には日本人は責任者に対する批判や中傷が激しく自殺でもしないと収拾がつかない文化・民族性があるのだろう。それが日本社会の大きな流れなのかもしれない。

 最近、幸せってなんだろう?と良く思うし考える。幸せになりたいって人は言うけど、今の状況で幸せじゃないのかな?自分が追い求めている幸せはホントは誰かが定義した幸せなんじゃないの?幸せを追い求める派から、今ある環境や状況で幸せを感じる派の方が幸せじゃね?けど、今ある現状に満足すると現状維持の法則に陥るジレンマがあるんだよね。幸せを感じる感性を忘れずに、やるべきことをやる必要があるんだよね。その必要性が今の環境だと緊急性が低いため、人は怠惰になってしまうのだろう。

 人の温もりがあり社会に必要性と緊急性があることをする。それが人生で大事なことかな。継続的に行うことができて、自己を鍛錬することができ、より多くの人々を豊かにできる。それが未来の仕事の定義になると思うんだ。機械的なことは機械に任せてボクたち人間は社会をより豊かに温かくできることをする。仕事としてよりも人間としてどうあるかが問われる時代が訪れるだろう。

 と思ったら、そんな思想はとっくの昔にあったわ(笑)俺が幾ら勉強して幾日と寝ずに考えた答えが書物に書き記されていた。あ〜どこまで考えても考えても先人には勝てない。考えてるようで先人の思考や思想をなぞってるだけなんだよね。

 知人者智、自知者明 勝人者有力、自勝者強  知足者富、強行者有志 不失其所者久 死而不亡者寿

 さて、己の道の中で倒れる覚悟はできた。

あーーー俺が求めるのがあったかも

 社会が発展したおかげで日常生活は格段によくなりました。江戸時代の殿様の生活を日本人はみんな体験できる世の中になりました。ただ、恩恵を受けているだけではありませんね。ボクたちは効率を求めすぎて大切な何かを忘れている。それは人間としての美しさや人と人との親密さ。なんだか、泥臭いよねとか思うんだけど。そういうのが無いとボクたちは社会から疎外感を感じるし、生きている実感みたいなのがなくなるんだよね。

 FXだけの生活を過ごしていた時は幸福なんて感じないし思わなかった。ただただ自分が成長していく達成感や満足感しかなかった。それが悪いとは思わないし、そういう時期も大切だって思うんだ。けど、その鍛え上げた思考や教養は自分の利益だけを求めるために存在しているわけではなくて。誰かの役に立ったり、幸せや笑顔や喜びを与えることもできるわけ。

 今後、世界が日常が人工的な市場へと変化していく流れは防ぎきれない。その中でボクたちが人間らしくあるためにはどう生きればよいか考える必要があるよね。


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