考えるヒト
- Admin
- 2017年10月24日
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考えるヒト
➤養老フリークな僕には最高な本ですな。意識と無意識ってのがあってさ。意識ってのは科学とかでは排除されて考慮されてないんだよね。けどさ!そもそも科学的な何かをしてるのは誰か?ってこと。人間でしょ。であれば意識を考慮しない科学って存在しないわけでさ。。我々のもつ意識や主観ってなんなんだろうね。。
➤遺伝子の発生から神経系の情報系が生じているんだよね。んで、遺伝子ってのは必要性に駆られて合目的(生存欲求からの生き残りを賭けて?)に行動しているわけ。その中の神経系は合目的な何かを達成させるために重みづけされちゃってんだよね。その重みづけが十人十色で千差万別。まぁ、だから面白いんだけどね。
➤脳とか人工的な形式や事象は論理展開が大好き。けど、その中に生老病死である自然的な発想や思考、考察がないんだよね。それって不自然やね。だからこそ、脳だけではなく五感を意識して身体を使えよってこと。脳ばかりに意識が集中しすぎるから神経症や精神疾患を発症させる可能性が高まるわけ。現実を無視した出力変換装置になるわけ。いくら脳が論理的かつ効率的な答えを出しても、現実(身体)から離れれば妄想でしかないのさ。
➤遺伝子の可変性が生じ生命が動的平衡状態であることを考慮すれば、必ずしも論理的な回答や思考なんて必要がないことがわかるよね。あーなんとなく好きとか嫌いとかさ。そこに利害関係じゃなくて見えない何かを見てるんだよね。だから、女性の第六感みたいなのに男はビビりまくるわけ。(浮気がばれる。。。)
➤そもそも僕らの遺伝子は社会的な動物になるように仕組まれているわけ。それはどんなにあがいてもあがきようがないくらいに刷り込まれて骨の髄まで染み込んちゃってるわけ。だから真の進化や成長は自己目的な欲や名誉や金銭の多寡から発生なんてしないわけ。そんなの自己陶酔した自己満足なマスターべーしょんと変わりないわけ。現実じゃないじゃない。
➤だから、どう生きるかと問われれば。社会的な動物であれということ。現実と向き合いマスターべーしょんじゃない生き方を薦めるわけさ。僕たちが本当に生きてると実感してるときや幸福に包まれちゃってる時って絶対にマスターべーしょん的な思考や発想、気持ちじゃないしさ。
➤進化は必要性から生まれた。その必要性が社会的・環境的なものでしか、僕らの身体は可変していかない。つまり、今置かれている社会的な環境、状況において人生から期待されている姿勢を貫けばいいだけ。その期待されていることは、各個人の人生経験に大きく左右され重みづけは変わる。だから、現実は一つでも価値観は多様であり人生も多様にならざるを終えないのである。。。とか思う。もし、今を無為に過ごすことがあればそれは身体を無視した(五感を使わず)生き方をしているだけ。脳内で生きてるだけ。ラプラスの悪魔の呪縛から逃れられない人生を送ってるだけ。まずはさ、体で感じてみなよ。そしたら、体が勝手に動き始めているからさ。あとはそれに乗ってけ。波乗りだね♪
*体で感じるために柔軟な身体や思考が大事。柔は剛を制しちゃうわけ。現実に向き合い必要な可変性が生じやすく、成長スピードがべき乗になるため。
➤そして自分が選んでしまった効用関数は自分の人生という実体を作り上げていく変換装置になる。複雑系で混沌とした世の中で実体が成長するスピードや精度や頑強さは計算できない。しかし、複雑であるが故にシンプルに関数をとることが大事である。なぜなら、すべてのネットワークはつながっているため複雑に関数を設定すると、却って複雑になり、エントロピーは増大し、べき乗に複雑化してしまうからである。
➤シンプルな原則(重みづけ)をべき乗に成長させる。その重みづけは自分で選択できるんだよね。つまり、遺伝子は自由であれと語りかけてくれています。

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